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表千家の家元一覧!歴代宗匠の名前・読み方&家元夫人についても

茶道

茶道の家元一覧

茶道といっても、基本の単位は「流派」になります。

お稽古をしている方々は皆さん流派に属していますが、それぞれの流派には「宗匠」と呼ばれる人がいます。

宗匠は家元などと言われたりして、「社長」「総理大臣」「校長」などのように、流派という組織のTOPに位置する人のことを指す言葉です。

しかし一番偉い人だとは言っても、実際どんな人なのか分からないのが現状です。

家元は流派の方向性を決めるほかに流派の代表者として活動しており、その流派の歴史は家元の歴史でもあるため、少なくとも自分の属する流派の家元は知っておいた方が良いでしょう。

今回は表千家の歴代宗匠とその家元夫人についてご紹介していきます。

抑えるポイントは3つです

ちなみに裏千家の歴代家元については、こちらの記事をチェックして下さい。

表千家・宗匠の名前&読み方まとめ【歴代の家元一覧】

引用元:不審庵(表千家)(ふしんあん) – 京都の観光情報:丸竹夷|京都の寺社仏閣、京都のイベント情報

表千家は元々裏千家・武者小路千家と共に三千家と呼ばれています。

最初は一つの流派でしたが、千利休から数えて3代目の千宗旦が子供たちに、それぞれ別の家を継がせたことで三千家が誕生しました。

三千家それぞれの歴史は4代目の当主から始まりますが、各家では千利休を初代としています。

そのため今回は、表千家としてのスタートである4代当主からご紹介していきます。

4代目|江岑宗左(こうしんそうさ)

紀州徳川家に茶堂として仕えていた経歴を持ちます。

そのため武家の茶道にも親しむ機会が多く、江戸にも長く滞在していました。

紀州にいる時から「宗員」を名乗っており、職人に余った材料で作らせた「三木町棚」が有名です。

茶道の心得を書き残した『江岑夏書』が現在でも表千家に伝来しています。

道号江岑宗左(こうしんそうさ)
斎号逢源斎(ほうげんさい)
生没年1613年〜1672年(慶長18年〜寛文12年)
お好みの道具朱塗手桶

5代目|随流斎(ずいりゅうさい)

宗旦の娘である「くれ」の子で、逢源斎の養子になりました。

伝統を重んじる性格にあり、道具の取り合わせや茶道の歴史をまとめた『随流斎延紙ノ書』が今も残されています。

表千家代々の家元が「宗左」を名乗るのに対して「宗佐」を名乗ったため「じんぺんそうさ」と呼ばれています。

道号良休宗左(りょうきゅうそうさ)
斎号随流斎(ずいりゅうさい)
生没年1650年〜1691年(慶安3年〜元禄4年)
お好みの道具真塗手桶水指

6代目|覚々斎(かくかくさい)

久田宗全の長男であり12歳の時に、表千家の養子となりました。

5代目の死後は僅か18歳とう年齢で、家元の座になります。

徳川吉宗が紀州徳川家に在籍している時代に茶頭としても仕えていたため、吉宗からは「唐津桑原茶碗」を渡されています。

簡素な茶道を愛し、茶坊主や小役人など80人以上を解雇されてことも記録に残っています。

道号原叟宗左(げんそうそうさ)
斎号覚々斎(かくかくさい)
生没年1678年〜1730年(延宝6年〜享保15年)
お好みの道具桐木地三重棚

7代目|如心斎(じょしんさい)

実の弟(裏千家8代目家元 又玄斎)と共に「七事式」を制定しました。

七事式とはより茶道に対して、緊張感を持ちながら稽古ができる方法です。

表千家中興の祖とも呼ばれており、弟子の川上不白は江戸にて千家の教えを広め「江戸千家」の祖になりました。

道号天然宗左(てんねんそうさ)
斎号如心斎(じょしんさい)
生没年1705年〜1751年(宝永2年〜寛延4年)
お好みの道具つぼつぼ棗

ちなみに七事式は、お稽古としても有名なものです。

▼こちらで軽くチェックしておきましょう

8代目|啐啄斎(そったくさい)

わずか8歳の時に家元を継承し、又玄斎や川上不白から茶道を学びました。

1789年には「利休二〇〇回忌」1807年には「宗旦百五十回忌」を取り行っています。

1788年には大火災によって表千家の家財道具など一式が焼失したにも関わらず、翌年にはすぐに復興を果たした。

ちなみに隠居後に宗旦を名乗る慣習は彼が最初です。

道号件翁宗左(げんおうそうさ)
斎号啐啄斎(そったくさい)
生没年1744年〜1808年(寛保4年〜文化5年)
お好みの道具松ノ木溜塗丸卓

9代目|了々斎(りょうりょうさい)

この時代に、今の表千家としての作法が形作られたと言われています。

紀州徳川家10代藩主「徳川治宝」は茶道に関心が高く、表千家は莫大な支持を得ます。

隠居後は詩歌を好んだと言われています。

道号曠叔宗左(こうしゅくそうさ)
斎号了々斎(りょうりょうさい)
生没年1775年〜1825年(安永4年〜文政8年)
お好みの道具青漆爪紅長板

10代目|吸江斎(きゅうこうさい)

10歳で紀州徳川家に出仕し、台子真点前の皆伝は当時の藩主「治宝公」より受けています。

幼年時代に残した掛け軸や絵は茶人の間で人気となりました。

活動が一時中断していた「御庭焼(偕楽園焼)」の復興に尽力する経歴を持ちます。

道号祥翁宗左(しょうおうそうさ)
斎号吸江斎(きゅうこうさい)
生没年1818年〜1860年(文化15年〜安政7年)
お好みの道具溜二重棚

11代目|碌々斎(ろくろくさい)

吸江斎から家元の座を受けたものの、明治維新により紀州徳川家への出仕が無くなるという激動の時代に活躍しました。

しかし明治13年に行った北野天満宮の献茶式は、現在でも行われている有名な行事です。

日本全体が西洋化の一途を辿り茶道への関心が薄れるなか、日本各地を訪れ近代茶道の礎を作り上げました。

道号瑞翁宗左(ずいおうそうさ)
斎号碌々斎(ろくろくさい)
生没年1837年〜1910年(天保8年〜明治43年)
お好みの道具既望棗

12代目|惺斎(せいさい)

斎号は一文字の「せいさい」という読み方です。

碌々斎が基礎を作った近代茶道の影響もあり、彼の時代には表千家の隆盛を迎えます。

特に女性の嗜み・教養という意味での茶道を形作りました。

表千家の家屋が再度火災により焼失しましたが、松風楼を増築し復興を遂げました。

歴代の家元の中では、最もお好みの道具が多いとされています。

道号敬翁宗左(けいおうそうさ)
斎号惺斎(せいさい)
生没年1863年〜1937年(文久3年〜昭和12年)
お好みの道具好文棚

13代目|即中斎(そくちゅうさい)

明治維新に加えて、第二次世界大戦というさらに困難な時代に直面しましたが「財団法人」というスタイルで表千家を組織化し、海外にも支部を設置するという、精力的な活動ぶりでした。

表千家が発行する機関紙「同門」を発刊し、近代茶道の発展に貢献しました。

戦後復興のため、各地の自社仏閣を巡り献茶を行いましたが、半年100ヶ所以上も巡ったと言われています。

道号無盡宗左(むじんそうさ)
斎号即中斎(そくちゅうさい)
生没年1901年〜1979年(明治34年〜昭和54年)
お好みの道具立礼卓

14代目(前家元)|而妙斎(じみょうさい)

引用元:十四代 而妙斎宗左 | 茶の湯覚書歳時記

1990年には三千家合同で「利休400回忌」を執り行いました。

全ての人に茶道を分かりやすく解説した『茶の湯随想』というエッセイ本を残しています。

家元の座は42歳という、比較的遅い時期に受け継ぎました。

道号14代千宗左(襲名以前は宗員、現在宗旦を名乗る)
斎号而妙斎(じみょうさい)
生没年1938年(昭和13年)〜
お好みの道具壺々透二重棚

15代目(若宗匠)|猶有斎(ゆうゆうさい)

引用元:表千家15代家元を襲名・千宗左さん 「茶の湯は常のこと」心に刻む(1/2ページ) – 産経ニュース

而妙斎の長男として2018年に家元の座を受け継ぎました。

英国バッキンガム大学を卒業し、芸術学の博士を所持しています。

不審菴文庫長も勤め『近世前期における茶さの湯の研究―表千家を中心として』を出版しました。

道号15代千宗左(襲名以前は宗員を名乗る)
斎号猶有斎(ゆうゆうさい)
生没年1970年(昭和45年)〜
お好みの道具

表千家家元の花押とは?

歴代の家元それぞれに「花押」(かおう)と呼ばれる、マークがあります。

これは道具や掛け軸に押されるもので、誰の作品が一目で分かるようになっています。

表千家家元の花押一覧についてはこちらの記事に記載されていますので、ぜひ活用して下さい。

表千家現在の家元・15代目千宗左はどんな人物?

引用元:バッキンガム大学 – Wikipedia

表千家の家元としての活動はもちろん、学術的な活動も精力的な印象です。

本名を千芳紀とされており、身長はなんと180センチ以上もあると言われています。

下記に簡単な経歴をまとめてあります。

経歴年経歴内容
1970年(昭和45年)而妙斎の長男として誕生
1993年(平成5年)同志社大学文学部卒業
1996年(平成8年)英国バッキンガム大学卒業
1998年(平成10年)大徳寺福富雪底老師より「猶有斎」の号を授かる
2018年(平成30年)15代目千宗左を襲名

家元は結婚してる?若宗匠夫人は竹中工務店社長の娘?

引用元:想いをかたちに 未来へつなぐ 竹中工務店

現在の表千家家元は結婚しており、なんと中学生の息子さんもいると言われています。

家元は基本的に本家(家元)の長男がなると言われているので、将来が安泰と言えるでしょう。

また結婚相手はなんと、竹中工務店取締役名誉会長を務める「竹中統一」さんの娘である、「竹中敦子」さんです。

竹中統一さん自身が竹中家の17代目当主と言われていますから、名家同士の結婚なんですね。

【Q&A】表千家家元のよくある質問

ここで表千家と15代目家元に関する質問をまとめました。

表千家同門の方はもちろん、他の流派の方にとっても勉強になる内容ばかりですので、ぜひ活用してみて下さい。

表千家の茶室「不審菴」の読み方は?

表千家の茶室は「不審菴」(ふしんあん)と言います。

不審花開今日春という禅語にちなんでおり、不審には「いぶかしい」という意味があります。

いぶかしいとは、自然の偉大さや不思議さを讃えた意味があり、茶道の心にもピッタリな名前です。

不審庵は茶室だけで無く、その時代の家元のことを指すこともあります。

ちなみに裏千家の茶室は「今日庵」武者小路千家の茶室は「官休庵」と呼ばれています。

表千家家元の場所は京都にある?

もちろん表千家の本拠地は京都になり、家元も京都にいます。

名前の通り裏千家と隣接している状態です。

またもう一つの武者小路千家は、少し離れたところの「武者小路通り」という道に隣接していることから、この名が付けられました。

表千家家元の初釜はいつ?

初釜(はつがま)とは、様々な流派で行われる新年初めてのお茶会のことを言います。

新しい気持ちで家元や先生方に挨拶をして、清らかな気持ちでその一年の茶道やお稽古に向き合います。

表千家の初釜は2019年の場合、1月10日〜14日までの5日間行われました。

裏千家や武者小路千家の家元はもちろん、知事や京都市長まで招かれています。

東京で行われた初釜の人数と合わせると、なんと2500人もの茶人が出席しています。

ちなみに三千家では頂くお菓子が異なり、表千家では常盤饅頭(ときわまんじゅう)という白色の饅頭と緑色の白小豆を使った饅頭を頂きます。

これは雪の中から出てくる若草をイメージしています。

流派お菓子特徴
表千家常盤饅頭緑色の饅頭に、白色の餡子を使用
裏千家花びら餅白餅の中に、味噌餡と柔らかいゴボウを使用
武者小路千家都の春柳をイメージした緑色と、花をイメージした紅色で構成されるきんとん

まとめ

今回は歴代の表千家家元と、現在の家元についてご紹介しました。

特に明治維新や第二次世界大戦の時には、茶道の存続が危ぶまれたこともあり、相当な苦労を重ねて現代に継承されています。

そんな先人たちの苦労があるから、今も茶道文化が力強く残っているということになりますね。

表千家や裏千家以外にも、流派や家元の歴史はありますので、気になったらご自身でチェックしてみて下さい。

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