「こっとう」という音は柔らかく聞こえますが、
「骨董」と漢字で書くと、何やら難解なイメージになりますね。
特に「董」の字は、普段は使わない漢字ですし・・
さて、「骨董」の語源はどこにあるのでしょうか?
歴史と合わせて探ってみましょう。
漢字の意味
漢和辞典で「骨」とひくと、
身体の一部としての「ほね」という意味が
最初に出てきます。
その他、「人柄・品格」という意味もあります。
また、「骨組み」「物事の要点」「要領」といった意味が
あてはまります。
「董」は、
「ただす。とりしまる。」という意味
現代の中国では、「董事会」 というと、
取締役会という意味になります。
加えて、「芯になる大切なもの」という意味も持っています。
つまり、骨+董は
骨組み・中心になるもの、つまり
「大切なもの」という意味のようですね。
大切なものではなかった?
漢字研究の第一人者である白川静博士の「字統」では
「骨董」は
「由緒めいかした雑物で、玩具喪志の恐れのある個物」
としています。
価値があるものというよりも、
何やら「怪しげ」なもの
というニュアンスですね・・。
江戸時代には、骨董とは
「ごたごたした雑多なもの。つまらないもの」
という意味でした。
例えば、
「骨董飯」とは五目飯のように様々な具がはいったご飯
「骨董箱」は雑多なものを納めておく箱
という使われ方をしています。
江戸時代中期になると、
昔の人が愛用した道具類のことを「骨董」と呼ぶようになり、
さらに、明治時代になると、
価値のある古いものを「骨董」と呼ぶようになります。
さて、価値ある古いものとは、どんなものでしょう?
ただ、古ければよいというわけではなく、
完璧な状態が保たれていればよいというわけでもないようです。
白川博士が示唆するような
「人を魅きつける少し怪しげな力を持つ道具」
が骨董ということになるのでしょうか。
なお、「骨董の意味」については、
骨董の意味とは?
に詳しく書いています。
骨董の歴史
1 室町時代
骨董を収集して楽しむという風習は
中国から伝わってきたと言われています。
室町時代、足利家の将軍は、代々、中国の禅宗の文化に憧れ
様々な美術品・骨董品を、当時の中国、明との貿易で手に入れ、
秘蔵しました。
2 織田信長の名物狩り
信長の名物道具収集は、永禄11年に上洛した際、
堺の商人から茶器を献上されたのがきっかけとさ
れています。
信長は、中国から到来した茶道具類を多数求め、
それは、「名物狩り」と呼ばれるほどでした。
また、信長は、収集した道具類を政治的に大いに利用します。
自らの茶会で高価な茶道具を披露し、
配下の武将たちに、それらを褒章として与えたので、
茶入が一国一城の価値があるとも言われました。
3.江戸時代
茶道や煎茶が一般に広がると、
骨董収集の趣味も次第に庶民にも広がります。
しかし、室町幕府—織田信長と伝わった名器は、
大名家か一部の豪商の家に秘蔵され、
表に出てくることはありません。
そこで、この頃から、骨董品を専門に販売する店が登場し、
秘蔵された骨董品を、密かに取り付いだりしていたようです。
4 明治期以降
明治維新により、骨董品、古美術品の流通には
大きな変化が起こります。
廃仏毀釈の影響で、
仏像や仏具が安価で売りに出されてしまいます。
経済的に息詰まった大名家は、
代々受け継がれてきた茶道具や骨董品を売り立てました。
一方で、明治から大正時代に力をつけてきた新進の財界人たちは、
積極的に茶道具や骨董品を収集し、
大寄せの茶会などで披露していきます。
現代の骨董
現代でも、骨董屋は全国に多数あり、
骨董鑑定のテレビ番組が長年続くなど
骨董収集は今も多くの人を惹きつけています。
掘り出し物を見つける人がいる一方
大損をする人を出すのも骨董。
それでも、収集をする人が多いのですから
現代における骨董とは、
「古くて価値のあるもの」というより、
白川博士の示唆する
「怪しげな魅力のあるもの」
の方がぴたりとあてはまるようですね。
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