一期一会(いちごいちえ)という言葉、
あらゆる情報網が錯綜する現代において
どのような意味を持つと思いますか?
利休の生きた戦国時代では、明日をも知れぬ運命の武将達が
茶道でまさに一期一会を体感しながら稽古をしていたはずです。
しかしツイッターやフェイスブック、ブログなどで個人が
外に向けて情報を発信するのがごく普通の昨今、
二度とない出会いというものの方が稀になりつつあります。
その時別れても、ネットを通じてその人を追えるわけですから。
一期一会という概念そのものが揺らいでいるような
気がするのは私だけでしょうか。
茶道では核心的な心得として重要なものです。
一期一会の使い方とは何なのか考えてみましょう。
一期一会の意味は?
二度とないかもしれない一度きりの出会いや
機会(茶事)を大切に誠意を込めて心から尽くす
ということです。
たしかに茶道の稽古をしているとつくづく感じるのが、
毎回の稽古は決して同じではないということ。
同じ茶道具を使ったとしても、その場にいる人、
会話、空気は二度繰り返されることはないのです。
だからこそ、その一服に心を込めて点てることが重要
だということでしょう。
茶道に限らず、生きているうちにかけがえのない人との
出会いや場面に遭遇します。
だからこそ今生きているその瞬間を逃さず、
心して対せよという教えといえます。
一期一会という言葉を使えますか?
パーティなどのスピーチで、「この一期一会の出会いに感謝します」
というものを聞いたことがあります。
これを若い人、たとえば10代や20代の人が使うのを
聞いたことはあまりないのでないでしょうか。
明日はまたやってくると信じているとき、
一期一会という言葉の重みを感じることは恐らくほとんどないでしょう。
内戦の続く国に住む子どもたちは、銃声の飛び交う日常の中で
出会った人と、もう二度と会うことはないかもしれないと
常に感じるのだそうです。
重い病気などで苦しむ人々がいる病院でも、
明日はもう話せないかもしれないとお互いに心のうちに思います。
このような限界状況の中での一瞬の出会いは
まさに一期一会の最も厳しい側面でしょう。
このことを思い起こす時、上っ面の意味を知っているだけで
一期一会という言葉を使うことはできないと思うのです。
茶道という求道で一期一会を体得する
茶道は長い年月をかけて修業と鍛錬を繰り返し、
五感を研ぎ澄ましながら自らを掘り下げ、
人と人との交わりを構築していくものです。
そこに深く関わる道具や季節、抹茶や料理など全ては、
一期一会のいわば珠玉の時を支えるものだといえましょう。
ふだんの稽古では手順に気を取られたり、
雑念が混じって心が伴わなかったりして
己の未熟さを痛感することばかりです。
あとになって初めて、あの時の先生の言葉、
あの時の茶事のこと、二度と会うことのない人など、
様々な出来事がかけがえのないものであったと気付くのです。
床の間に掛けられた書に「一期一会」とあるのを見ると、
襟を正す思いをします。
あまりにポピュラーな言葉として世間一般に流布しているだけに、
少なくとも茶道に携わっている者として
再度、出会いのかけがえのなさ、というものに
向き合わなくてはならないと感じます。
和美×茶比のサイトでは詳しく一期一会について書かれていますから
参考にしてみてくださいね。
和美×茶比
一期一会とは?簡単にわかりやすく説明してみた。
まとめ
一期一会は二度とない機会を大切に、と簡単に言えるのですが、
その根底にある重さをどれほど自分で納得して使うかを
よく考えたいと思います。
よくわからないけどあとでネットで調べるからいいや、
となってしまいがちな昨今、一期一会のような機会は貴重です。
茶道の稽古はまさに一期一会。
人との関わり方、自分自身の姿勢をストレートに問われます。
一期一会という言葉は緊張感を持つのです。
もしかするとあふれる情報網の中で
たぐりよせた線で繋がる関係もまた、
現代流一期一会なのかもしれません。
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