世の中に影響を与えた人物には必ず
名言・逸話が残されています。
では我らが茶道の大成者千利休が
茶道の心や教えを述べた名言は、どんなものでしょう?
茶道を学ぶ人に対してだけではなく
一般社会的にも広く知られている
千利休の茶道の精神を紹介していきましょう。
千利休の茶道の言葉
利休自身が書き残した文書というのは
ほとんどないと言われています。
ただ茶道を学ぶ者が連綿とその教えと
精神を受け継ぎ、利休の言葉として表わしています。
- その道に入らんと思ふ心こそ
我身ながらの師匠なりけれ
自分自身が学ぼうという強い気持ちを持ち、
自ら学ぶ姿勢を崩さずにいるという、学びの心構えです。
茶道にかぎらず、人間関係、子育て
社会的営みのすべてに通ずる言葉ですね。
- 茶の湯とはただ湯をわかし茶を点(た)てて
のむばかりなることと知るべし
茶の湯(利休の時代は茶道ではなくこう呼ばれていました)
は難しく考えずにただお湯を沸かし、
お客様に差し上げ、自らもいただく、
というシンプルな行為であることを言っています。
そこに込められている含蓄はみなさんにも伝わるかと思います。
シンプルな行為ほど実は厳しく難しいもの。
利害関係や欲といったものが何をするにもついてまわるからです。
利休百首から学ぶ茶道の精神
利休百首、別名『利休道歌』は元禄時代に
編纂されたとされているもので、茶道論をまとめ、
利休の名を配した五・七・五の歌にしているものです。
先に紹介した二つもこれに入ります。
歌ですからとても簡潔で初心者にとってもわかりやすいのです。
- 稽古とは一より習ひ十を知り
十よりかへるもとのその一
稽古とは一から順に十まで進んでいき、
再び最初の一に戻ってまた二、三・・と進めていく。
その繰り返しで最初に学んだことに新たな
発見をしたり、確実なものとするという教えです。
- 恥をすて人にもの問い習うべしこれぞ上手の基なりける
知ったかぶりをしていることこそ恥ずべきことであり、
師匠にものを尋ね聞いて習うことの大切さを教えています。
利休の求めた侘びの逸話
侘び茶と言えば利休、という一般的感覚は
間違いではありませんが、
利休が「侘び」を言い始めたというわけではなくて、
侘びの精神を大成させたのが利休だと
言い換えた方がいいと思います。
武野紹鴎や村田珠光らが、当時の国際色豊かになって
華やいでいた大阪を中心とした町文化にあえて
「枯れる」精神を取り入れたことが、
一種の侘びブームの発端となったのです。
利休はその侘びの精神を
茶の湯で大胆に取り入れて
人生を賭けて侘び茶を完成させます。
有名な逸話としては、
中国から渡った唐物という大名物を排し、
日本独自の焼き物として
楽焼の完成に心血を注いだことです。
黒塗りの極めてシンプルな楽茶碗の登場は
唐物全盛の安土桃山時代で大変センセーショナルな出来事でした。
また、利休に茶道具を送るように
一両の金を添えて頼んだ人物に、
茶巾用の白布を一両分買って、
侘び茶には清潔な茶巾さえあればよい、と教えたという逸話もあります。
利休から学ぶ
実は後の茶道家により、茶道の心は書に表わすものではなく、
体現して学びとるものである、というように反語的に
残されているものもあります。
実際、簡潔に書かれた心得を読むほうが楽なのは事実。
しかしそればかりでは茶道の一般的普及は
望むべくもありません。
実際に利休自身が書きとどめたものはなくても、
後世の人々がそ現代の私たちにもわかりやすく
学べるように残しているものが今回紹介したものです。
茶道といえば細かい作法だと
思っている人もいるかもしれません。
もちろんそれも茶道の重要な部分です。
ただ、どの道であれ、そこにある心を
紐解いて自ら学んで行くことを学ぶ、
これこそが基本姿勢でしょう。
だからこそ、利休百首・利休道歌には
茶道を学ぶことについて多く記されているのです。
利休の有名な逸話も相手に学ぶことを
強く求めているものが多いですよね。
茶道をやっている人もこれからやろうとしている人も、
今そこで何を学びますか?
その道に入らんと思ふ心こそ
我身ながらの師匠なりけれ
これをお忘れなきよう・・
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