東京オリンピックの誘致の演説で注目を浴びて以来、
外国からのお客様をどのように「おもてなし」するべきか・・
という話題が尽きることはありませんね。
その「おもてなし」という言葉の意味、
きちんと考えてみたことはありますか?
おもてなしの語源
おもてなしは、「もてなす」の名詞形「もてなし」に
接頭語の「お」がついたものです。
「もてなす」は、更に「もて」と「なす」に分解できます。
なす(成す)は「する」「事をし遂げる」という意味です。
接頭語の「もて」が付く言葉は、
他に「もてさわぐ」、「もてあつかう」などがあります。
この場合の「もて」は、「意識的に行う」という意味を添えています。
つまり、「もてなす」は「意識的に」+「する」という意味をなすのです。
おもてなしの意味
さて、改めて「おもてなし」の意味を確認してみましょう。
「デジタル大辞泉」には、次の4つの意味が掲載されていました。
1 客への対応のしかた。待遇。
2 食事や茶菓のごちそう。饗応。
3 身に備わったものごし。身のこなし。
4 とりはからい。処置。取り扱い。
現在、一般的に「おもてなし」と言うときは、
1のお客様へ対応という意味と
2のご馳走の意味で使うことが多いようですね。
二つの種類のおもてなし
改めて、おもてなしの意味
1. お客様への対応のしかた
と
2.食事や茶菓のご馳走
について考えてみたいと思います。
同じような意味に見えますが、
1の場合は、日常の心をこめたおもてなし。
2の場合は、非日常の特別なご馳走
というニュアンスを含んでいると感じます。
それぞれ、どんなものなのでしょう?
利休が目指した日常のおもてなし
茶道の目指す「おもてなし」の心を表現したものに
「利休七則」があります。
茶は服のよきように点て、
炭は湯に沸くように置き、
冬は暖に夏は涼しく、
花は野の花のように生け、
刻限は早めに、
降らずとも雨の用意、
相客に心せよ
というもの。
まとめて言うと、客を迎える上で、当たり前のことを、
丁寧にきちんと実行しましょう。
という内容です。
利休の目指した茶道は、客を「神様」のように扱って
「もてなす」のではありません。
客も亭主も対等な関係で、共によい茶会のひと時を
作りあげようというものでした。
利休が生きた時代は、実力が物をいう下剋上の時代。
そういう時代だからこそ、「客も亭主も平等に」という考えが
受け入れられたのでしょう。
江戸時代以降は、饗応の「おもてなし」に
下克上の時代が終わり、江戸時代に入ると
「身分」が固定されるようになります。
そして、時代に合わせて、茶道の「おもてなしも」
身分の上の方が楽しんでいただくための「饗応」へと
変化してきたのです。
茶室は、亭主と少人数の客で緊張した空気を生み出す小間から
殿さまとお連れの人も加わった大勢の客を饗応するのに適した
広間が好まれるようになりました。
そして、室町時代から珍重された、
伝統的な価値に基づく「お宝」を
特別に披露する場になりました。
実際、将軍の大名家への訪問「おなり」の場合は、
茶道の準備だけに留まらず
庭園を整備したり、建物も特別に建築したりと
何年もかけて、非日常の空間を作り上げたのでした。
どちらの「おもてなし」を目指しますか?
さて、現代の「おもてなし」に目を向けてみましょう。
非日常の饗応の「おもてなし」は、
夢のようなテーマパークや豪華なホテルの宿泊など
少しお金を出せば、誰もが楽しめるようになりました。
そんな時代だからこそ、利休が目指したような
日常の「おもてなし」が重視されてくるのではないかと思います。
日々の暮らしの中で、人を迎える時に
当たり前のことが、きちんとできているか?
自分自身に、改めて問い直してみたいと思います。
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