利休が生きたのは、信長・秀吉などの
個性が強い戦国武将が活躍した戦国時代。
現代でも、戦国時代を舞台にした歴史小説やテレビ番組が
毎年新たに作られるほど、
強烈なパーソナリティをもつ人々がぶつかりあい、
様々な逸話が生まれた時代でした。
利休もそんな時代に個性を発揮した一人。
エピソードには事欠きません。
秀吉と利休1 朝顔
利休の逸話といえば、秀吉に絡むものがいくつか残されています。
中でも、一番、有名なのが朝顔の話でしょう。
利休の家の路地の朝顔が一面に咲いて美しい
という噂を聞いた秀吉は、早速、利休に
「朝顔がみたい」
と朝の茶会を命じます。
秀吉が利休の家へ出かけると、
露地の朝顔は残らず引き抜かれ何もありません。
腹をたてながら茶室に入ると、
床には見事な朝顔が一輪だけ入れてあり、
秀吉は、その美しさに感心したという話です。
最高の一輪に注目を集めるための利休の大胆な趣向を
表す話ですね。
利休と秀吉2 梅
他にも秀吉は利休の美的センスを
試すようなことを仕掛けています。
ある日、秀吉は大きな鉢に水を入れて、
傍らに紅梅を一枝置き、
利休に「花を入れてみよ」と命じました。
鉢が大きいので、紅梅一輪さしても
バランスが悪くなるところ、
利休は紅梅の枝を逆さに持ち、枝をしごきます。
水面には、花びらと蕾とが入り交じって浮かび、
たいへん美しい景色が表れました。
秀吉は利休の機転にご機嫌だったということです。
利休の審美眼
利休の美的センスの鋭さを表すエピソードも残っています。
利休がある人の茶会で、中立のあと、後座の床に生けられた
花を見ただけで
「この坊主に久しく会っていないな」
と言いました。
周囲の人が何のことだろうと思っていたところ、
利休が「水屋に池坊がいるはずだ」と言ったとのこと。
花の生け方を見ただけで、誰が生けたかがわかったのです。
因みに、この池坊は、華道池坊家初代の専好のことだそうです。
利休の侘び茶
利休が目指す侘び茶を表現するエピソードも残されています。
利休がある日、思い立って旧知の侘び茶人宅を
夜明け前に訪ねると、亭主は驚きながらも喜んで招きいれました。
利休が窓からのぞくと、亭主は庭の柚子を取って内へ入り、
暫くすると柚子味噌のみで仕立てた膳が運ばれてきました。
利休は「佗びのもてなしで趣深い」と感じていましたが、
酒一献が過ぎた後、「これは、大坂から到来しました」と、
ふっくらしたかまぼこが出されました。
かまごぼこは、当時は大変な高級品でした。
利休は
「私が立ち寄ることを誰かが知らせて、
肴を整えていたのだろう。
初めの驚いた様子も作りものか。」
と興ざめて、「急用があるので」と帰ってしまいました。
侘び茶では、
豪華なものを出さず、
また、下手な演技もするべきではない
ということですね。
利休七則
利休の逸話を伝えると言われる「南方録」には
次のようなエピソードが書かれています。
ある人が利休に「茶の湯の極意を知りたい」と尋ねたところ、
「夏は涼しく冬は暖かく風情をつくり、
炭は湯の沸くように、茶は飲みやすいように」
という内容のことを答えました。
質問した人は不満そうに、「わかりきったこと」というと、
利休は
「このような茶会ができるのなら、
あなたの弟子になりましょう」
と答えたということです。
利休のこの教えには、後に4項目が加わって
「利休七則」と言われるようになったのでした。
利休百首
この他にも、利休が残したという逸話は事欠きません。
そんな利休の教えは、茶の湯の心得のない人にも、
わかりやすく、覚えやすく伝えようと
5・7・5・7・7の和歌の形にして
伝えられるようになりました。
それが「利休百首」です。
これは、一種の受験勉強の時の暗記法のようなものですが、
私たちが、今、利休の侘茶の心を知る近道と言えるでしょう。
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