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宝塚歌劇団の歴史!男役やエリザベート・ベルサイユのばらについても

宝塚

宝塚の歴史

宝塚歌劇団といえば、豪華絢爛な衣装に、可憐な男役を想像する方も多いのではないでしょうか。その少女漫画のような世界観に、誰もが憧れてしまいますよね。

しかし、最近宝塚に興味を持った方は、

  • だれがはじめたの?
  • なぜ宝塚にあるの?
  • どうして女性だけなの?

などと、気になることが多くあると思います。

宝塚ファンの方でも、これらを知らないと恥ずかしい思いをしてしまうかもしれません。

今回は、これら悩みを「宝塚歌劇団の歴史」をご紹介することで、解決していきます。

▼この記事に書いてること
宝塚の歴史とは?歌劇団の変遷まとめ
・宝塚のベルサイユのばらの歴史
宝塚のエリザベートの歴史

歴史を知ることで、宝塚の作品や伝統行事をより楽しめるようになること間違いなしです。

宝塚歌劇団の歴史とは?


引用元:https://kageki.hankyu.co.jp/sp/fun/history1914.html

宝塚歌劇団の変遷まとめ

戦前の宝塚・少女歌劇の発足とレビュー時代

1910年代、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の前身)の創始者小林一三は、路線の乗客増加を目指し、終着駅の宝塚にリゾート地を建設しました。このリゾート地には、温泉やプール、動物園があったのですが、客足は伸びませんでした。

1913年、一三は宝塚に新たな娯楽を取り入れるべく『宝塚歌唱隊』(同年、「宝塚少女歌劇養成会」に改称)を創設しました。これこそ、宝塚の先駆けとなる少女歌劇団です。

1914年に初演。室内プールを改造した舞台で、桃太郎を題材にした歌劇『ドンブラコ』を上演しました。

少女たちの技術面にも力を入れた少女歌劇は話題を呼び、1918年には帝国劇場で上演を行います。

1924年には、総座席数3,500席もある初代宝塚大劇場も出来上がりました。

1927年、日本で最初のレビュー『モン・パリ』を上演し、日本中で話題に。宝塚が演劇界に新たな風を吹かせました。

戦時中の宝塚・レビューの中止と慰問公演

1930年代に完成形を迎えつつあった宝塚のレビューは、戦争の突入とともに中止。劇場も閉鎖されました。そんな中、生徒たちは全国各地の病院や工場で慰問公演を続けました。

戦後の宝塚 『ベルばら』ブームとミュージカル

終戦直後の1946年から、宝塚は公演を再開しました。テレビやラジオという媒体を通し、宝塚の評判は日本のみならず世界中に広まっていきました。

1974年、池田理代子原作の『ベルサイユのばら』を舞台化し、初演。観客合計140万人という、空前のブームを巻き起こしました。

また、ブロードウェイミュージカルだけでなく、ロンドンミュージカルやウィーンミュージカルも上演され始めました。

1996年には宝塚の代表的な作品の一つ、『エリザベート』が上演されました。

2014年、『宝塚歌劇 100周年記念式典』が行われました。

宝塚歌劇団の歴史|組について

引用元:https://kageki.hankyu.co.jp/sp/star/index.html

宝塚には、月組・花組・雪組・星組・宙組の5つの組と専科があります。

1921年、観客数の増加に伴い、第一部を『花組』、第二部を『月組』で行うようになったのが組制度の始まりです。

1921年月組・花組誕生
1924年雪組誕生
1933年星組誕生
1998年宙組誕生

宝塚歌劇団の歴史|男役について

宝塚の特徴といえば、なんといっても、女性が男性の役を務める「男役」の存在ですよね。

この、「男役」は、宝塚歌劇団の創設当初からあります。

当時の男役は長い髪をひっつめて帽子の中にしまっていたので、不格好でした。

1930年代に、レビューに出演していた、水の江瀧子が、髪の毛を男性様に短くしたことで、反響を呼びます。

その後、戦前・戦後のトップスター、春日野八千代が、つけまつげにパーマ頭など、現在の男役の容姿や所作を確立し、現在まで受け継がれることとなりました。

宝塚歌劇団・ベルサイユのばらの歴史

宝塚の代表的な作品の一つに『ベルサイユのばら』があります。

池田理代子の人気漫画『ベルサイユのばら』を舞台化したものです。

1974年に月組で初演。その後、大ヒットを記録しつづけ、2014年までに観客動員数500万人を記録。

様々な脚本・演出(オスカル編・アンドレ編・フェルゼン編など)で今現在まで上演されています。

宝塚歌劇団・エリザベートの歴史

1996年に雪組トップスター、一路真輝のサヨナラ公演として初演された、ウィーンミュージカル『エリザベートー愛と死の輪舞ー』。現在も宝塚の代表的な作品として、上演されています。

初演当初は、そこまで人気が出ませんでしたが、上演を重ねるごとにチケットが売れるようになっていき、2018年までに観客動員数250万人を突破しています。

多くの宝塚作品の中でも、1、2を争うほど、歌唱の難易度が高いこの作品は、2018年の月組公演で10回目の上演を迎えました。

宝塚歌劇団の歴史がわかる本は?

宝塚歌劇団の歴史をもっと知りたい!という方に、おすすめの本を紹介します。

引用元:https://www.amazon.co.jp/宝塚歌劇-華麗なる100年-朝日新聞出版/dp/4023312894

100周年を迎えた宝塚の歴史を、朝日新聞などの報道で振り返る一冊。大正からの細やかな歴史や、戦前の貴重なビジュアルが揃っており、これさえあれば宝塚の歴史はマスターできます。

【Q&A】宝塚歌劇団の歴史よくある質問

宝塚歌劇団はなぜ女性だけなの?

創設者の小林一三が、一世を風靡していた「三越少年音楽隊」を倣い、「少年があるなら少女もあってもいいじゃないか」ということで、少女だけの歌劇団をつくったことがきっかけです。

宝塚歌劇団で歴史ものの公演といえば?

西洋のものから、和物まで、様々です。最近の作品では、フランス革命を描いた『1789』、中国、秦の始皇帝の死後を描いた『虞美人』が有名です。

宝塚歌劇団の黒歴史とは?

1958年に、月組の香月弘美さんが、舞台装置に巻き込まれて死亡する事故がありました。

まとめ

ここまで、簡単に宝塚の歴史をまとめてみました。

歴史を紐解くことで、宝塚に対する理解が深まったのではないでしょうか。

まさか阪急電鉄の創始者が宝塚歌劇団を創設したなんて、驚きですよね。

今年で2014年には100周年を迎えた宝塚。

戦前から、演劇界に多くの革新をもたらしている歌劇団が今後どのように成長していくのか楽しみです。

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