茶道・裏千家の家元は?長男・次男の名前&歴代一覧まとめ

茶道裏千家の家元は?

茶道と言えば、多くの流派があり、そのほとんどに家元が存在します。

しかし家元というのは流派のトップに当たる立場の人なので、茶道を習っている人でさえ、家元と接する機会はほとんどありません。

そのため、家元として存在や名前は知っているけれど、その他のことはあまりよく知らないというのが一般的です。

「家元ってどんな人?家族はいるの?」
「次の家元は決まっている?」
「年収はいくらくらいなんだろう?」

こんな素朴な疑問を持つ人もいるのではないでしょうか?

今回は、普段あまり知ることのない家元の家族について、裏千家をピックアップご紹介していきます!

茶道裏千家家元の家系図を紹介

引用元:ペンペン草の桜の花が咲きましたよ

現在の家元は、15代目に当たる汎叟宗室です。妻は三笠宮崇仁親王の第二女子容子内親王である登三子さん。

長男・明史(あきふみ)さん、長女・阪田万紀子(まきこ)さん、次男・敬史(たかふみ)という二男一女で3人のお子さんがいます。

茶道裏千家の家元の長男は菊地明史

引用元:OTOTOY – ハイレゾ音楽配信と音楽記事

長男の明史(あきふみ)さんは、2014年12月に分家をし、現在はChori(キクチ・ミョンサ)と名乗り、詩人・クリエイターとして活動しています。

もともとあまり茶道に興味がなかったようです。

裏千家の家元の次男は誰?

 

引用元:裏千家ホームページ 行事だより

裏千家で次の家元とされているのは、次男の敬史(たかふみ)さんです。

2020年には、次期家元となる若宗匠(わかそうしょう)として正式にお披露目されています。

茶道裏千家の家元!歴代の名前一覧

数ある茶道の流派の中でも、もっとも人口が多いことでも知られている裏千家の歴代家元を、彼らの功績とともにご紹介していきます。

なお、1~3代目は裏千家の基礎となる千家流の家元にもあたるため、4代目から解説していきます。

4代目・仙叟宗室(せんそうそうしつ)

3代目・千宗旦の四男で、加賀藩の前田家2代・4代藩主に茶頭として出仕していました。

金沢と京都を何度も往来していたため、金沢の茶の湯文化の発展にも貢献しています。

「宗室」と改めた事で今日庵を始めとした茶室を任されることになり、裏千家の基礎を築いていくことになりました。

芸術品が好きで、好みの茶道具を作らせたことでも有名です。

名前玄室(げんしつ)
臘月庵(ろうげつあん)
生没年元和八年(1622)-元禄十年(1697)
職種加賀藩前田家の茶頭
事蹟裏千家の始祖

5代目・常叟宗室(じょうそうそうしつ)

4代目・仙叟宗室の長男で、父に続いて加賀藩の前田家に茶道奉行として出仕していました。

その後、伊予松山藩の松平(久松)家に出仕となったことで、幕末に至るまで、裏千家と両家の関係は続くこととなります。

32歳という若さで亡くなっており、家元を務めたのはわずか7年ほどでした。

名前宗安(そうあん)
不休斎(ふきゅうさい)
生没年延宝元年(1673)-宝永元年(1704)
職種加賀藩前田家・松山藩松平家の茶頭
事蹟前田家・松山家との強い関係の礎を築く

6代目・泰叟宗室(たいそうそうしつ)

裏千家5代目・常叟宗室の長男で、11歳という若さで裏千家6代目家元を襲名しました。

前代の父を亡くしていたため、表千家6代目・覚々斎宗左に教えられながら成長していきました。

儒学をはじめ、学問に熱心でしたが33歳にて生涯を終えています。

名前宗安(そうあん)
六閑斎(りっかんさい)
生没年元禄七年(1694)-享保十一年(1726)
職種
事蹟

7代目・竺叟宗室(ちくそうそうしつ)

表千家6代目・覚々斎宗左の次男として生まれましたが、裏千家6代六閑斎宗室の養子となり、裏千家の7代目を継いでいます。

25歳という若さで亡くなっているため、家元でありながらあまり詳しい資料が残っていない人物でもあります。

名前宗乾(そうかん)
最々斎(さいさいさい)
生没年宝永六年(1709)-享保十八年(1733)
職種
事蹟

8代目・一燈宗室(いっとうそうしつ)

表千家6代目・覚々斎宗左の三男として生まれ、裏千家7代目・竺叟宗室の早世によって裏千家8代目家元を襲名しました。

茶道人口の増大に伴って茶の湯が大衆化し、くだけつつあった時、七つの式作法を定めた七事式を兄である表千家7代目・如心斎宗左たちと作った功績で名を残しています。

名前宗室(そうしつ)
又玄斎(ゆうげんさい)
生没年享保四年(1719)-明和八年(1771)
職種
事蹟「七事式」の制定

9代目・石翁宗室(せきおうそうしつ)

裏千家8代目・一燈宗室の長男です。

1788(天明8)年に天明の大火によって家元を焼失しましたが、翌年の1789(天明9)年には又隠を修復し、復興に尽力したことで知られています。

名前玄室
不見斎(ふけんさい)
生没年延享三年(1746)-享和元年(1801)
職種
事蹟焼失した家元の復興

10代目・柏叟宗室(はくそうそうしつ)

裏千家9代目・石翁宗室の長男で、加賀藩・伊予藩に奉行として出仕していました。

家元となったのは35歳と、比較的遅めですが、14歳で口切茶事という重要な茶事を取り仕切り、20歳で利休二百回忌で花を生けたほど、若いころから才能に溢れていたことで知られています。

名前宗室(そうしつ)
認徳斎(にんとくさい)
生没年明和七年(1770)-文政九年(1826)
職種
事蹟

11代目・精中宗室(せいちゅうそうしつ)

三河国奥殿藩4代藩主・松平縫殿頭乗友の五男として生まれ、裏千家10代認得斎宗室の婿養子となっています。

利休二百五十年忌の茶会を機に、現在重要文化財となっているものの多くを増築しました。

さらに松平家出身という関係もあり、徳川家から300石を受けています。

幕末から明治の変動期に、外国人にも対応できる立礼式や茶箱点などを創案する等、現在のオープンな裏千家の礎を固めたとも言えます。

名前宗室(そうしつ)
玄々斎(げんげんさい)
生没年文化七年(1810)-明治十年(1877)
職種
事蹟今日庵の増築。立礼式、茶箱点などを考案。

12代目・直叟宗室(じきそうそうしつ)

京都の名家である角倉家に生まれ、裏千家11代目・精中宗室の長女・猶鹿子の婿養子となりました。

妻である猶鹿子は女学校の茶儀科、宮家、旧公家等に精力的に茶道を教え、女性たちへの茶道浸透に尽力した事でも知られています。

34歳で息子に家督を譲った後も、全国各地に足を運び、茶道の普及に努めた人物です。

名前宗室(そうしつ)
又玅斎(ゆうみょうさい)
生没年嘉永五年(1852)-大正六年(1917)
職種
事蹟

13代目・鉄中宗室(てっちゅうそうしつ)

裏千家12代目・直叟宗室の長男で、特にも女学校教育の中に茶道を取り入れ、学生や婦人層における茶道普及の基礎を築きました。

濃茶各服点前・盆略点前などの新しいお点前を創案するとともに、風炉流し点前を復興する等、新旧両面から流儀の繁栄に貢献しています。

また、教本を出版する等により大衆向けに茶道を広げる活動を通して、茶道の普及において大きな役割を果たした人物です。

名前宗室(そうしつ)
圓能斎(えんのうさい)
生没年明治五年(1872)-大正十三年(1924)
職種
事蹟大円盆考案、教本出版

14代目・碩叟宗室(せきそうそうしつ)

裏千家13代目・圓能斎宗室の長男で、門下生にとどまらず、宮殿や神社仏閣への献茶も積極的に行ったことで知られています。

先代に次いで、学校での茶道教育を積極的に行ったことも背景にあり、現在も学校のクラブ活動での大半は裏千家です。

なかでも、全国にいる裏千家同門の親睦の場にもなっている社団法人「淡交会」や財団法人今日庵を設立したことは、大きな成果と言われています。

名前宗叔(えいじゃく)
無限斎(むげんさい)/淡々斎(たんたんさい)
生没年明治二十六年(1893)-昭和三十九年(1964)
職種
事蹟淡交会設立

15代目・汎叟宗室(はんそうそうしつ)

裏千家14代目の長男で、同志社大学法学部経済学科を卒業後に、ハワイ大学に留学するという珍しい経歴を持っています。

太平洋戦争を経て、「茶道で世界平和に貢献したい」との願いから、世界中を渡り歩き、茶道の普及に努めてきたこともあり、世界中で数多くの勲章や、大学の博士号・名誉学位を授与しています。

このような国内外問わないオープンな普及活動により、現在海外で普及している茶道のほとんどが裏千家です。

名前玄室(げんしつ)
鵬雲斎(ほううんさい)
生没年大正十二年(1923)-
職種国連親善大使等
事蹟茶道界初の文化勲章受賞

16代目・玄黙宗室(げんもくそうしつ)

当代である16代目は、裏千家15代目・鵬雲斎宗室の長男にあたります。

茶道人口が著しく減少している現代で、茶道に限らず、音楽や小説にも興味を持ち、従来の家元のイメージにとらわれない形で活動しています。

文筆家としても知られており、随筆集などを多く出版しています。

名前政之(まさゆき)
坐忘斎(ざぼうさい)
生没年昭和三十一年(1956)-
職種
事蹟

裏千家の歴代家元の覚え方はある?

引用元:裏千家ホームページ 裏千家系図

家元の名前は、基本的に4代目以降は「宗室」なので覚えやすいですね。

他の名前も、「叟」という字が使われている家元が多いので、特徴的な名前から覚えていくと比較的覚えやすいのではないでしょうか?

裏千家の歴代茶杓の違い&特徴

引用元:茶道具 抹茶の専門店 芳香園 公式通販

茶杓には、歴代家元それぞれに好みのものというのが存在します。

画像のように、歴代家元好みの茶杓をまとめた歴代茶杓では、それぞれの好みの特徴をとてもわかりやすく見比べることが出来ます。

特に違いが現れるのは、茶杓全体の「長さ」と、素材に使われる竹の「節」の部分です。

例えば二代目・少庵宗淳の茶杓(画像右から2本目)は、比較するととても短いですね。

これと同じくらい短いのが十二代目・又妙斎直叟の茶杓(画像左から4本目)ですが、節を見ると好みの違いが一目瞭然です。

逆に、八代目・又玄斎一燈(画像右から8本目)と14代目・無限斎碩叟(画像左から1本目)は同じくらい長いですが、これも節を見ると違いが現れています。

他にも、茶杓の先の形や曲がり方、持ち手の幅などに注目すると、それぞれの好みの特徴がよくわかります。

茶道の家元制度とは?

家元制度というのは、代々同じ家系のものが同じ職業を受け継ぐというものです。

ただし、現在のような厳格な家元制度が確立したのは、江戸~明治時代あたりと言われており、それまでは血のつながりがなくとも、家元が認めた人物が受け継ぐこともありました。

茶道のお稽古に通うとなると、まずは通える場所にいるお茶の先生を探すと思いますが、お茶の先生というのは、各流派の家元から「茶道を教えてもいいですよ」という許可をいただいて教えているという関係にあります。

つまり、茶道における先生というのは、しっかり知識と技術を身につけて、流派を乱すことなく教えることができると認められた門下生・お弟子さんのような立場だと考えてよいでしょう。

また、「宗匠」という言葉も耳にすることがあるかもしれませんが、一般的には技術の師にあたる人物を指す言葉で、茶道においては家元を意味する場合がほとんどです。

次期家元となっている次男・敬史さんは、若宗匠とよばれ千宗史という名前を名乗ります。

【Q&A】茶道の家元についてよくある質問

茶道の家元の年収はいくら?

茶道にもさまざまな流派があるので、一概には言えませんが、年収で言うと700万から三千家のような大きな家元では1億近くなるのではと言われています。

茶道の家元でイケメンといえば?

あまりメディアに露出する機会の少ない職種ではありますが、裏千家の次期家元とされる若宗匠である千宗史(現家元の次男)は、整った顔立ちでイケメンだと早くも話題です。

まとめ

茶道の家元というと、まったく違う世界のような気がしますが、家族構成や名前を知ることで一気に身近に感じることができるものです。

とはいえ、家元制度という現代ではめずらしい制度のなかで、茶道という日本の誇れる文化が脈々と受け継がれてきたのだと思うと、そこには並々ならぬ苦労もあったことが想像できますね。

裏千家では、すでに次期家元のお披露目も行われ、これから世界に開かれていく文化交流の中でのますますの活躍が期待されます。

茶道を習い始めたら、自分の流派の家元がどんな人物なのか等を調べてみるのもおすすめですよ。

 

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