歌舞伎は江戸時代に流行したため、当時都のあった東京の文化だと思っていませんか?
江戸時代、東京以外の関西にももちろん歌舞伎文化はありました。関西の上方歌舞伎は江戸歌舞伎の地方版の様なサブ的なポジションではなく、当時の歌舞伎文化の中心はむしろ上方歌舞伎の関西だったのです。
今回は意外と知らない上方歌舞伎について
など、上方歌舞伎を知って、歌舞伎文化の歴史について詳しくなりましょう。
上方歌舞伎とは
引用元:CREA | クレア ウェブ 好奇心旺盛な女性たちへ
上方歌舞伎とは、大阪と京都(上方)で演じられている歌舞伎の型の事。
歌舞伎が始まった江戸時代から、東京(江戸)を中心とした江戸歌舞伎に対比して、関西地方の歌舞伎を上方歌舞伎と呼んでいます。
上方歌舞伎の読み方は?どういう意味?
引用元:Wikipedia
上方歌舞伎は「かみがたかぶき」と読みます。
上方の意味は、上は天皇を表し、天皇は江戸時代には京都に住んでいたため、京都近郊の畿内を上方と呼ぶようになりました。
現代でも関西地方の歌舞伎を上方歌舞伎と呼んでいます。
上方歌舞伎の歴史について
引用元:徹子の部屋|テレビ朝日
上方歌舞伎は江戸時代に流行するも、幕末頃には衰退をしてしまいます。
明治時代に入ると上方歌舞伎をもう一度盛り上げようと、名興行師が大阪に芝居小屋を建設。
明治の終わり頃に中村鴈治郎という名優が現れ、上方歌舞伎の人気が復活し、中村鴈治郎が亡くなった後も、中村魁車、中村梅玉と言った役者が活躍、昭和の戦後まで不動の人気となります。
戦後は、人気役者が亡くなってしまった事による後継者不足で、上方歌舞伎にとって厳しい時代となります。
1954年阪東壽三郎が亡くなり、1958年には大阪歌舞伎座が閉場した事で上方歌舞伎は衰退してしまいました。
上方歌舞伎は江戸時代から始まったの?
引用元:Wikipedia
歌舞伎が大流行した江戸時代に、上方歌舞伎も始まりました。
元禄時代に坂田藤十郎や芳澤あやめと言った人気の歌舞伎役者が現れ、歌舞伎は大流行となり京都や大坂では次々と芝居小屋が建てられました。
元禄時代は上方歌舞伎の方が、江戸歌舞伎より勢いのあった時代。
勢いのあった時代も束の間、幕末にかけて上方歌舞伎の役者や作者の不足のため人気が衰退してしまい、江戸歌舞伎と立場が逆転してしまいます。
上方歌舞伎の特徴!和事が主流なの?
引用元:Wikipedia
後に和事(わごと)といわれる、やつし事(やつしごと)を得意とします。
やつし事とは、元々は身分の高い人物が、落ちぶれて色事に興じる役の事を言います。
上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いは何?
引用元:Pinterest
上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いは、得意とする芸と演出方法が違います。
上方歌舞伎が得意とする芸は、和事と言われる少し退廃的で色気のある男性芸なのに対し、江戸歌舞伎は見得を切るような荒事(あらごと)と言われる荒々しい男性的な芸が得意です。
上方歌舞伎の演出方法は、現代の関西文化にも通じる様なお笑い要素や即興演技が多く、様式美や型を重視する江戸歌舞伎に比べて、アドリブを重視する傾向があります。
歌舞伎役者自身の工夫で、観客を何とか楽しませようとする強いサービス精神が求められます。
上方歌舞伎の演目は近松門左衛門作が多いの?
引用元:Wikipedia
近松門左衛門は、江戸の元禄時代に上方で歌舞伎作家として活躍した人物です。
上方歌舞伎と言えば近松門左衛門の作品が多く、当時の名優坂田藤十郎のために作品を残しました。
近松は元禄期以降は浄瑠璃作家となりますが、浄瑠璃で公演された作品が歌舞伎化されるなど、歌舞伎から離れても、最後まで歌舞伎とつながりがありました。
上方歌舞伎の役者を家系図でご紹介
引用元:松嶋屋 片岡孝太郎 公式WEBサイト|松嶋屋 片岡孝太郎
上方歌舞伎で有名な屋号は?
引用元:歌舞伎美人
上方歌舞伎で有名な屋号は、坂田藤十郎家の「山城屋」、片岡仁左衛門家の「松嶋屋」、中村鴈治郎家の「成駒家」です。
中村鴈治郎家の屋号が「屋」ではなく「家」の表記なのは、上方歌舞伎の屋号もともとは「家」の表記をするのが一般的だったというのが理由。
四代目中村鴈治郎襲名時に「成駒家」に変更され、「家」表記の屋号が復活しました。
上方歌舞伎は坂田藤十郎が大名跡?人間国宝はいるの?
引用元:Pinterest
上方歌舞伎の大名跡と言えば、坂田藤十郎と片岡仁左衛門です。
存命の上方歌舞伎役者で人間国宝に認定されているのは、十五代目片岡仁左衛門と二代目片岡秀太郎。
亡くなられた四代目坂田藤十郎も人間国宝に認定されています。
上方歌舞伎塾に入れば上方歌舞伎の名優になれるの?
引用元:関西・歌舞伎を愛する会
上方歌舞伎塾とは、上方歌舞伎の復興のため松竹株式会社が行っている、歌舞伎役者を目指す一般人の育成を目的とした塾です。
1997年に設立され卒塾生の中には歌舞伎界で活躍をしている、片岡松十郎、片岡千次郎などがいます。
一般家庭からも歌舞伎役者を目指す事ができるため、歌舞伎の家に生まれなくても歌舞伎への強い情熱があれば、誰でも名優が目指せます。
上方歌舞伎が見たい!南座に行けば見れるの?
引用元:南座
京都の南座では、上方歌舞伎のみの公演というのは基本的には行っていません。
上方歌舞伎にこだわるのなら、関西なら国立文楽劇場で行われている「上方歌舞伎会」を見に行くのがおすすめです。
関東であれば、国立劇場で見る事ができます。
上方歌舞伎会の2019年公演の演目は何?
引用元:上方歌舞伎会 友の会
2019年の上方歌舞伎会は、舞踊の「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」と、熊谷次郎直実が密命のため息子を身代わりにした、源平合戦の悲劇「熊谷陣屋」。
心中事件を元にした「近頃河原の達引(かごろかわらのたてひき)」の3演目でした。
まとめ
上方歌舞伎とは | 大阪と京都(上方)で演じられている歌舞伎の型の事 |
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上方歌舞伎塾について | 松竹が行っている歌舞伎役者を目指す一般人の育成を目的とした塾 |
上方歌舞伎会の開催場所について | 関西なら国立文楽劇場、関東なら国立劇場 |
いかがでしたか。
人気テレビドラマの出演で話題となった六代目片岡愛之助など、歌舞伎の舞台以外で上方歌舞伎役者を見かける機会も増えました。
昭和時代に衰退してしまった上方歌舞伎ですが、現在は新人の育成や施設の充実により徐々に復活の兆しを見せています。
関西独自のサービス精神やお笑い文化のルーツと言える上方歌舞伎。
次の世代まで是非残ってほしいですね。
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