落語の「ちはやふる」を聞いたことがない人でも、「ちはやふる」という言葉は知っている人も多いと思います。
落語「ちはやふる」は小倉百人一首の「ちはやふる」の歌の意味がキーワードとなって噺が展開されていきます。
この記事では落語「ちはやふる」のあらすじ・オチ・名人・教訓などについて解説します。
落語「ちはやふる」を知らないと言う人は是非読んで見てください。
「ちはやふる」の落語とはどんな演目?
落語ではお馴染みの八五郎。
家でカルタをして遊んでいた娘から小倉百人一首の「ちはやふる」の歌の意味を唐突に質問されます。
八五郎は「ちはやふる」の歌の意味など知らず返答に困りますが、親という立場上「知らない」「分からない」という台詞を娘に使いたくはありません。
娘からの質問をなんとかはぐらかし家を飛びだした八五郎。
博識のご隠居宅に「ちはやふる」の歌の意味を教えてもらおうと駆け込みます。
ところが頼みの綱のご隠居さんも「千早ふる」の歌の意味は知りません。
「知らない」「分からない」と素直に言えないプライドの高いご隠居さんは、知ったかぶりをして八五郎にウソの歌の意味を教えます。
さて八五郎は「ちはやふる」の歌の正しい意味を知ることはできるのでしょうか。
落語の「ちはやふる」のあらすじ
物知りであるため長屋の住人達から「先生」と慕われる隠居(いんきょ)のもとに八五郎が尋ねてきます。
八五郎は娘に小倉百人一首の在原業平(ありわらのなりひら)の「ちはやふる神代(かみよ)もきかず竜田川(たつたがわ)からくれなゐに水くぐるとは」という和歌の意味を聞かれて返答できなかったので隠居のもとに教えを請いにきたのです。
物知りの隠居も実はこの和歌の意味を知りません。
ところがプライドの高い隠居は知らないと素直に言うことができません。
困った隠居は知ったかぶりをして、苦し紛れに即興でウソの和歌の意味を八五郎に伝えます。
大昔、人気の相撲取り(力士)で大関の「竜田川(たつたがわ)」が吉原(よしわら)へ遊びに行きました。
その際、竜田川は「千早(ちはや)」という花魁(おいらん)に一目惚れします。
ところが千早は相撲取り(力士)が嫌いであったため、竜田川はあっさり振られてしまうのです(千早振る)。
千早に振られた竜田川は、次に妹分の「神代(かみよ)」にも言い寄りますが、神代も「千早姉さんが嫌なものはわちきも嫌でありんす」と千早同様に竜田川を振ってしまい、言うことを聞きません(神代も聞かず竜田川)。
一時に二人の女性にフラれひどく傷ついた竜田川は無気力になり相撲の成績も悪化してしまいます。
成績不振の竜田川は相撲の道は諦めて、力士を廃業して実家に戻り家業の豆腐屋を継ぐことを決意します。
それから数年の月日が流れ、竜田川の豆腐店の前に一人の女乞食が訪れ「おからを分けてください」と頭を下げて竜田川に懇願します。
喜んで恵んでやろうとした竜田川でしたが、その女乞食の顔をよく見ると、なんとその女乞食は竜田川を振った千早花魁の成れの果ての姿だったのです。
竜田川は千早に振られた悔しい過去を思い出して、おからを放り投げると千早を力いっぱい突き飛ばしました。
千早は井戸のそばに倒れこみ、このような仕打ちにあうのもこれまでの自分の行いが悪い、因果応報であるとして井戸に飛び込んで自殺してしまいます(から紅(くれない)にみずくぐる)。
八五郎は隠居の話を聞き終わると「大関になるような強い人が失恋したくらいで廃業しますか?」「花魁まで出世した人が乞食にまで落ちぶれますか?」などと、その都度、隠居の話に疑問を投げかけますが隠居は強引に八五郎を納得させます。
そして和歌の意味の説明をなんとか終えて隠居は一安心するのですが、最後に八五郎は「千早振る 神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐる」までは分かりましたが、最後の「とは」はなんですか?」とひつこく聞きます。
すると隠居はこう答えます。
「千早は源氏名(げんじな)で、千早の本名が『とは(とわ)』だった」
「ちはやふる」の落語のオチ・サゲ【ネタバレ】
落語「ちはやふる」のオチは「千早は源氏名で、千早の本名が『とは(とわ)』だった」
非常に落語らしい馬鹿馬鹿しいオチですね。
落語「ちはやふる」のオチはいろいろな噺家がそれぞれに工夫して変えています。
私が以前聞いて大笑いしたのは上方落語の笑福亭鶴志の「ちはやふる」です。
笑福亭鶴志は千早の本名の「とは(とわ)」のオチの前に、ウルトラマンが井戸から飛び出して「トワッ!」や「永遠(とは)の愛」や「人の口に戸は(とは)たてられぬ」など、何度もボケて落語初心者から落語通のお客まで楽しませていました。
「ちはやふる」の落語の意味・教訓を解説
「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは」
現代語訳にすると「神代(かみよ)の時代にさえ、こんなことは聞いたことがない。龍田川があたり一面に浮いている紅葉によって紅く染められるなんて」
龍田川(たつたがわ)は現在の奈良のにある紅葉が美しい有名な場所です。
「千早ぶる」は、「荒々しい」という意味がありますが、枕詞(まくらことば)なので、この歌では意味を訳しません。また、「ちはやぶる」と「ちはやふる」の違いは濁点が有るか無いかだけの違いで意味に違いはありません。
「神代もきかず」の「神代」とは古(いにしえ)の神々の時代のことで、不思議なことが起こっていた「神々の時代でも聞いたことがない」ほど不思議なことだと表現しているのでしょう。
「からくれない」の「から」は当時の韓の国や唐土(中国)を示しているため、「唐の国の紅のように」という意味になります。
水くくるとはの「くくる」には、「括り染めにする」という意味があります。水を括り染めにしてしまった、つまり紅葉が龍田川の水を赤く染めてしまったと詠っているのです。
落語「ちはやふる」の教訓は「知ったかぶりをしてはいけない」ということでしょうか。
道徳的には「知ったかぶり」は良くないことですが、不完全な人間らしさ、つまらないところで見栄をはる人間の可愛らしさが出ていて落語「ちはやふる」の隠居を嫌いになれないのは私だけではないはずです。
落語の「ちはやふる」の名人!十八番なのは誰?【動画あり】
それでは落語「ちはやふる」の名人を紹介します。
五代目古今亭志ん生の落語「ちはやふる」
落語「ちはやふる」は五代目古今亭志ん生が十八番にしていました。
古今亭志ん生は金原亭馬生と古今亭志ん朝の父であり昭和の大名人です。
五代目柳家小さんの落語「ちはやふる」
人間国宝の五代目柳家小さんの落語「ちはやふる」です。
柳家小さんは古今亭志ん生とは別の味わい深さ、面白さあります。
柳家小さんの「ちはやふる」は必聴です。
【動画】落語の「ちはやふる」!おすすめの名演を紹介
引き続き落語「ちはやふる」の名演を紹介します。
柳家小三治の落語「ちはやふる」
人間国宝の柳家小三治の落語「ちはやふる」です。
真面目で堅いイメージのある柳家小三治ですが、とぼけた人間を演じさせたら抜群です。
瀧川鯉昇(りしょう)の落語「ちはやふる」
瀧川鯉昇の落語「ちはやふる」です。
独特の風貌・口調で落語ファンから絶大な人気と信頼を得ています。
人格者で弟子の数も多く後進の育成にも尽力しています。
笑福亭福笑の「ちはやふる」
上方落語で古典と新作の爆笑派といえば笑福亭福笑でしょう。
笑福亭の代名詞的存在で大阪で爆笑派といえば笑福亭福笑を抜きにして語れません。
桂吉弥の落語「ちはやふる」
米朝一門らしい端正な落語をする桂吉弥の落語「ちはやふる」です。
桂吉弥は師匠の桂吉朝イズムを受け継ぎ全国で大活躍中です。
「ちはやふる」の落語の台本!内容をテキストで解説
落語「ちはやふる」は演目名の表記が「千早振る」「千早ふる」「ちはやふる」など人によって様々です。
もともと落語の演目名(ネタ)は楽屋にいる芸人が理解するために必要なだけで漢字表記であろうと平仮名表記であろうとどちらでも良かったのでしょう。
落語「ちはやふる」は上方落語も江戸落語も噺の筋はほぼ同じですが、登場人物の名前が江戸落語は八五郎とご隠居、上方落語は喜六(きろく)と甚兵衛(じんべえ)さんになります。
まとめ
今回は落語「ちはやふる」のあらすじ・オチ・名人・教訓などについて解説しました。
落語には「知ったかぶり」をする人間がよく出てきます。
人間は恥をかきたくないから知ったかぶりをする、見栄をはる、ウソをつきます。
落語を聞くと人間は300年も前から今と同じようなことで失敗したり恥をかいたりしていたんだなあ、と分かります。
どれだけ科学や文明が進歩しても人間の本質的な部分は昔と変わっていないのかもしれませんね。
落語「ちはやふる」は落語を聞いたことがない人でもクスッと笑える噺です。
是非聞いてみて下さい。
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