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小林一茶の俳句の有名作品&代表作一覧!すずめを使ったものは?

俳句

小林一茶の俳句

一度俳句を作ってみたくて、勉強したいなら小林一茶の俳句がおすすめです。

小林一茶は見たものをそのままに表現する写実の方法をとっており、誰でも真似がしやすいので参考にしやすいですよ。

子供や動物など身近な存在をモチーフにした句も多く、同じ題材で句が詠みやすいです。

誰でも作れそうなやさしい句ですので、解釈など気にせず楽しんで詠めるのも良いですね。

などを知って、現代でも人気の小林一茶の魅力について知っていきましょう。

小林一茶の俳句の特徴|どんな人なの?


引用元:小林一茶 – Wikipedia

小林一茶(本名:小林弥太郎)は1763年6月15日、現在の長野県上水内郡に農家の家に生まれました。15歳の時に江戸に奉公に出され、25歳になるまで苦しい奉公生活を送ります。

25歳の時に俳諧師として頭角を現し、40歳になる頃には作風を確立し、名が知られるようになりました。

帰郷し、52歳で初めて結婚をします。幸せな生活は続かず妻や子供が亡くなってしまい、二度目の結婚。再婚するも離婚となってしまい、二度目の脳卒中になり、言語に障害が残ってしまいます。

苦しい状況下でも創作活動は衰えず、三度目の結婚をし、晩年も家が火事に巻き込まれるなど災難は続き、一茶65歳の1828年1月5日に、気分が悪くなりそのまま帰らぬ人となりました。

一茶の死後、一茶の門人たちにより句集の編纂が行われます。中でも門人白井一之によって編纂された「おらが春」が有名です。

小林一茶の俳句は、写実性の高い生活に根付いた句が多いのが特徴で、その時その時の心の有りようをそのまま句に詠みました。

作り出した俳句の数は?


引用元:小林一茶について | 一茶記念館

小林一茶が作り出した俳句の数は、約2万1千句あります。

一茶と同じく江戸時代を代表する俳諧人の松尾芭蕉は約1千句、与謝蕪村の約3千句と言われており、他の2名と比較しても圧倒的な多さです。

作成スタイルに数の多さの理由があり、一茶は自分の魂のあるがままに、反射的にその場その場で句を作っていったと言われています。

小林一茶の俳句の有名作品は?意味も解説

小林一茶が作った一番有名な俳句について見て行きましょう。

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

雀の子供たちよ、速くその場所から逃げないと馬が通ってつぶれされてしまいますよ。

春(「雀の子」は春の季語)ののどかな陽気な日に、疑似化された雀に優しい目線が感じられる、一茶のあたたかな人間性が感じられる句です。

小林一茶の俳句集【代表作一覧】

小林一茶の代表的な俳句作品を、季節ごとに見ていきましょう。

春の俳句

めでたさも ちう位なり おらが春

新年を迎えるのは喜ばしい事だと言われるが、私の新年は、特別嬉しいというわけではなく中くらい程度だ。

「おらが春」は新年を表す春の季語で、新年を特別にめでたいとは思わない一茶の心情を表しています。

大名を 馬からおろす 桜かな

大名さえも馬から降りて立ち止まってみたいと思えるような、見事な桜だ。

見惚れてしまうような美しい桜が目に浮かぶ、想像力をかきたてる句です。

春風や 牛に引かれて 善光寺

春風に乗って旅をしていたら、思いがけず善光寺参りをする事になった。

思ってもいなかったきっかけで良い方向に導かれるという意味のことわざの「牛にひかれて善光寺参り」を使い、一茶は春風に誘われて善光寺参りをしました。

梅が香や どなたが来ても 欠茶碗

梅が香る春の季節になったが、我が家は貧乏暮らしでどんなお客さんが来ても欠けた茶碗で振舞う事しかできない。

貧乏生活を嘆いているのではなく、どんな身分のお客さんが来ても態度を変えない一茶の気概を表した句です。

夏の俳句

僧になる 子のうつくしや けしの花

これから僧侶になろうとする子供の美しさよ、まるでけしの花の様だ。

けしの花の怪しい美しさと、これから大人になる子供のはかなくあやうい美しさを表現しています。

夏山や 一人きげんの 女郎花

暑い夏の山に、一本だけ女郎花の花が咲いている。

女郎花を一人と擬人化し、一本だけ咲く花の凛とした美しさを表した句です。

今咲し 花へながるる 蚊やり哉

たった今咲き始めた花に、蚊取り線香の煙が流れている。

花と蚊取り線香という夏の風景を詠った句です。

秋の俳句

あの月を とってくれろと 泣く子かな

満月の大きな月を「取ってほしい」と子供が泣いている。

月までも欲しいという子供の、あどけないかわいらしさを表現しています。

かな釘の ような手足を 秋の風

秋らしい風が吹いてきた、年のせいか自分の手足は細くて折れ曲がって、まるで金釘のようだ。

不自由になってしまった手足を金釘に例えた自虐の俳句です。

うつくしや 障子の穴の 天の川

障子の開いた穴から見える天の川の美しさよ。

病床に伏していた一茶が限定された環境の中で見えた天の川の美しさを表現した句です。

冬の俳句

猫の子の ちょいとおさえる 落葉かな

子猫が小さい手で落ち葉を押さえている。

風に舞う落ち葉を押さえようとしている、子猫のかわいらしさを表現しています。

これがまあ 終の栖か 雪五尺

雪が5尺も降る様なこんな雪深い場所が、最後の住み家になってしまうのか。

一茶が永住しようと決めていた、故郷である長野県信濃町で詠んだ句です。故郷にもどったものの先の見えない不安が表現されています。

ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

これからどうなってしまうのかわからないが、阿弥陀如来様に任せて年末を迎えよう。

「あなた」というのは、神様(阿弥陀如来様)の事。これから何が起こるかわからないが、神様にまかせて年明け以降も受け入れて生きていこうとする心得を表しています。

小林一茶全国小中学生俳句大会とは?


引用元:炎天寺 1枚目の画像 | まっぷるトラベルガイド

「小林一茶全国小中学生俳句大会」とは、日本全国の小中学生の未発表の俳句を応募対象とした俳句の大会です。

一茶の誕生日である5月5日に、東京都足立区にある炎天寺で開催される一茶まつりで、表彰式が行われています。

第20回大会となった2021年には、全国189校から10543句の応募があり、2022年5月5日には第21回大会の表彰が行われる予定です。

まとめ

小林一茶についての知識は深まりましたか。一茶の俳句は、訳がいらないくらいわかりやすい句が多かったですね。

家族に不幸があっても、病気のせいで体が不自由になっても、俳句を作り続ける姿勢が格好良かったです。

有名な「おらが春」が門人によって作られたのは、一茶の死後なんと25年後。亡くなってもずっと愛され続けた俳人でした。

一茶の俳句は題材が身近に感じられるものが多いですので、気軽に俳句を楽しむなら一茶がおすすめですよ。

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