俳人の正岡子規を知っていますか。子規の俳句は教科書に載っているくらい有名なため、名前くらいは知っている方も多いでしょう。
正岡子規は、現在俳句と呼んでいる俳諧の形態を「俳句」とネーミングした、いわば俳句の親のような存在。
結核で寝床から起き上がる事ができなくなっても、亡くなる前日まで俳句を詠み続けた、俳句を詠まないと生きられなかったような俳人なのです。
そんな正岡子規がどのような人物なのか気になりますよね。
などを学んで、正岡子規について知っていきましょう。
正岡子規はどんな人?俳句の特徴
引用元:正岡子規 – Wikipedia
正岡子規(本名:正岡常規)は1867年10月14日、現在の愛媛県松山市に生まれました。
16歳の時に上京し、現在の東京大学教養学部に入学。同級生には後の親友となる夏目漱石がいました。
大学中退後は、新聞「日本」の記者となり、文芸活動を開始。日清戦争が始まり従軍記者として中国に渡るも、長期にわたり患っていた結核の病気が悪化し喀血し重体となってしまいました。
松山に帰郷、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスと自身を重ね、ホトトギスの和名である「子規」を自分の俳号とし、本格的に俳人としての活動を始めます。
1897年には子規も俳句の選者の一人である、俳句雑誌「ホトトギス」を創刊。
1899年夏頃には持病が悪化し寝たきりとなり、1902年9月19日亡くなりました。死因は脊椎カリエスと言われています。
正岡子規の俳句は、写生という見たものをありのままに詠むという特徴があります。
作り出した俳句の数は?
引用元:正岡子規 – Wikipedia
正岡子規は35年という短い生涯の中で、俳句を約25,000句作りました。短歌も約2,500首作ったと言われています。
正岡子規の作品で有名な俳句は?意味も解説
正岡子規が作った一番有名な俳句について見て行きましょう。
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
引用元:法隆寺|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|斑鳩町|生駒・信貴・斑鳩・葛城エリア|神社・仏閣|神社・仏閣
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
柿を食べていると、法隆寺の鐘が鳴った。
のどかな秋の情景の句の中に、柿の橙色の視覚、柿の匂いの嗅覚、鐘の音の聴覚など、五感を刺激する句です。
正岡子規は好物の柿を使った俳句を、多く詠んでいます。
正岡子規の俳句一覧【代表作】
正岡子規の代表的な俳句作品を、季節ごとに見ていきましょう。
春の俳句
くれないの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる
俳句ではなく短歌になるのですが、正岡子規の代表作という事で取り上げました。
紅色で60㎝くらい伸びたバラの芽の、まだやわらかそうなトゲに春雨が降り注いている。
生まれたてのような若々しいバラのトゲの、みずみずしい美しさを詠った短歌です。
若鮎の 二手になりて 上りけり
若鮎が二手に分かれて、川をさかのぼっていくところだ。
鮎が逆流の中でも川を遡っていく、頼もしい生命力を詠んだ俳句。「若鮎」が春の季語になります。
雪残る 頂ひとつ 国境
国境の山に一つだけ雪が残っている山がある。
空の青さや山の新緑の緑、残雪の白色と色彩豊かな俳句。この句を詠んだ子規は病が悪化しすでに寝たきりとなっており、心の中の情景を詠みました。
夏の俳句
ずんずんと 夏を流すや 最上川
夏の暑さまでも流してしまいそうな、最上川のずんずんとした流れの強さよ。
最上川の夏場の水流の強さを詠んだ俳句です。
紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘
紫陽花の花の移ろいやすさは、昨日まで本当だった事が本日は嘘になってしまうようだ。
人の心の移ろいやすさを、紫陽花の色の変化に例えて詠んだ俳句です。
秋の俳句
柿食うも 今年ばかりと 思いけり
柿を食べるのも今年で最後かと思ってしまう。
子規が亡くなる前年に詠まれた俳句です。好物の柿を食べるのも今年で最後だと思う無念と悲しみを詠みました。
赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり
赤とんぼが舞い、遠くに見える筑波山付近にも雲一つない快晴の天気だ。
快晴の秋空の青に飛ぶトンボの赤さが美しい俳句です。
絶筆三句
子規の辞世の句は、秋の季語「へちま」を使い、亡くなる前日に妹と俳人の河東碧梧桐の手を借りて詠まれたものです。三句あるため絶筆三句と言われています。
へちま咲て 痰のつまりし 仏かな
ヘチマの花が咲いていて、痰をつまらせた仏(遺体)が安置されている。
死を覚悟した子規が、亡くなった後の自身の様を詠った俳句です。
痰一斗 へちまの水も 間に合わず
痰が一斗(18リットル)くらい大量に出てしまうため、精製に時間のかかるヘチマ水(去痰剤)では痰を取りきる事ができない。
病気に対して、いよいよ何もできなくなってしまった状況を表現した俳句です。
おとといの へちまの水も 取らざりき
一昨日、ヘチマ水を取る事ができなかった。
ヘチマ水は去痰剤として使用されており、一昨日からヘチマ水を取る体力が残っていないくらい容態が悪化していた事が表現されています。
冬の俳句
いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
積もった雪の深さを、何度も聞いてしまった。
雪が降ったが病気で寝床に伏しているため、直接確認できない子規が何度も雪の深さが気になって訪ねた俳句です。
雪ふるよ 障子の穴を 見てあれば
障子の穴から見ていると、雪がたくさん降っていそうだよ。
雪の積もり具合を、障子を開けて直接確認できない子規のもどかしさを表しています。
まとめ
正岡子規についての知識は深まりましたか。
正岡子規は、病に伏してから俳句活動に一層力を入れたため、身動きの取れない不自由さや苦しさを感じる俳句が多かったですね。
見たものをありのままに詠むという写実主義にこだわった子規が、詠む対象を直接見て詠む事ができなくなってしまったのは不憫でした。
正岡子規の作品は現在でも文庫などで手軽に読む事ができますので、気に入った作品がありましたら是非原本を探してみて下さいね。
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